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壁と空と夢
今まで幼稚で粗暴なミステリーを解読してがっかりしていたところです。
昨日はカメラを持って府中の北の方を散策した。
この街の北の方というのは、刑務所や法務省の施設、農業高校・農業大学を含む幾つかの大きな学校、電機会社の広大な工業地域が存在する。
これらの施設は、土地を広く使っているせいか高い建物は指で数えるほどしかないので、こちらの方では空が異様に広い。
空と地面との境界を注意深く見たときに突起物を見つけたとしても、それは西の団地の貯水塔、大企業のエレベーター実験塔、それに鉄塔位のものである。
だから、どこを歩いていても空は目に入るのである。
あのかったるい青というのをこの目に取り込んでしまうのである。
勿論、フィリピンだとか、そういう土地と比べてしまえば、その広さというのも明明白白に引けをとる些細なものだ。
しかし、この広さに感慨深くなるのにはもう一つの理由がある。
その理由とは、多くの『壁』の存在である。
それは新しく設置されたばかりの白く高い壁であったり、鉄で出来たフェンスであったり、ブロックを積み上げた塀であったりと形状は様々だが、あからさまに他を拒絶する境界線として(また、内にあるものを外に逃すまいとして)、この小さな町にいくつも存在するのだ。
壁とはすなわち分断するものである。
(ここでいう壁とは建築物の外周の部分をいうのではなく、壁単体として存在するものの事をいう)
一つのものを二つ、又はそれ以上に分ける存在である。
そして分けられたものを相関出来ないようにものである。
受刑者が外に逃げ出さず、刑を全うするように。
部外者の出入りを禁じ、情報漏えいを禁ずるために。
ここまでが自分の持ち物だと主張するために。
自らの施設の安全性を誇示し、社会の安心を買うために。
法律と法律、生と死の境目を視覚的に解りやすくするために。
壁とはこのように人間の社会、人間の思惑と密接に関係している。
社会がそれを望むから、壁はそこに建てられるのである。
だから壁の無い境目は当たり前のことだが少ない。
境目が存在するために壁は必要不可欠なのだから。
この町には境界線が多い。
だから壁も多い。
ぼくは、壁が多いからこそ、独自の空と地面との境界線があると感じたのだ。
その境界線は、例えば大都会のビル群や電線、看板が作りだす狭い雑然としたものとは違っていて、尚且つ、田舎町の生い茂る草木や山の稜線といった、広い視界で見る、緩やかで有機質なものでもない。
もっと、ミニマルで冷酷で、無機質な長い直線。
人間が、使える必要最小限の力で作り上げた薄っぺらな癖、強大な力を伴い得る悪しき建築物。
それが、何の細工もせずに人の心を弄ぶ空との境界線を作りあげていることに、何らかの哀愁というものを感じてしまっているという訳なのです。
その境界線の冷酷さと温かさの大いなる差というのを、美しいと感じているのだと思うのです。
突飛なものが存在する美しさへの固執というのは、現代人なんだなと自分でも思います。
丘陵の上に孤立する立方体であったり、コンクリートの上にある土の山であったり。
そういうものに、一切の神秘性を抜きにして興味を抱くというのは、大昔の人間からしたら考えられないことだと思うので。
神様というものの存在しない世界が自分の頭の中にあるからこそ、意識の存在しえない無機質なものに対して好意を抱いているのです。
それはおそらく、自分が情報の洪水に随時溺れてしまっている人間だからではないかという推測します。
多くの思想・宗教・歴史・陰謀・意見にさらされ、自分の立ち位置を決めることもできず、寄りかかる柱も無く、そのうえ作ろうともせず。
超現実主義、無神論主義、反人類至上主義など、それぞれへの偏執、固執が齎した自身の最終形態だと思います。
そういう人間だからこそ、よく解らない美的感覚を持ったのだと考察。
しかし、自分の欲求を満たすものとして必要な条件の一つが、「人間が作り出すもの」だという点において、大きな矛盾が生じてしまっていますね。
デジタルすぎるものは総じて嫌いという枠に入れられてしまうし、これはどういうことなのだろうか。
無機質なものでも、人為性が汲み取れるものでないと好きになれないということなのだろうか。
人間嫌いだというのに、女性に対して多少の神秘性を感じていないかといえばウソになるし。
これは自分が後にも先にも人間の男性なのだからという説明で事足りるとは思うのだが。
結局のところ、自分がうまく社会との調和をとることができない事の言い訳にすぎないのかもしれない。
ああ、なるほど、他人と自分の間にあるとは知り得ていたが、そうかやはり、ここにも壁があるのか。
自分さえ立ち入れぬ良くわからぬ壁。

壁はどれも厚く高く堅い。
よく考えると、考えながらここに打つ必要はないよな。
消すか迷ったけど記録なので残す。
考え事はちゃんとノートか頭の中でするとする。
壁と空と夢について書く機会、多い気がする。
好きなんだろうな、壁と空と夢。
昨日はカメラを持って府中の北の方を散策した。
この街の北の方というのは、刑務所や法務省の施設、農業高校・農業大学を含む幾つかの大きな学校、電機会社の広大な工業地域が存在する。
これらの施設は、土地を広く使っているせいか高い建物は指で数えるほどしかないので、こちらの方では空が異様に広い。
空と地面との境界を注意深く見たときに突起物を見つけたとしても、それは西の団地の貯水塔、大企業のエレベーター実験塔、それに鉄塔位のものである。
だから、どこを歩いていても空は目に入るのである。
あのかったるい青というのをこの目に取り込んでしまうのである。
勿論、フィリピンだとか、そういう土地と比べてしまえば、その広さというのも明明白白に引けをとる些細なものだ。
しかし、この広さに感慨深くなるのにはもう一つの理由がある。
その理由とは、多くの『壁』の存在である。
それは新しく設置されたばかりの白く高い壁であったり、鉄で出来たフェンスであったり、ブロックを積み上げた塀であったりと形状は様々だが、あからさまに他を拒絶する境界線として(また、内にあるものを外に逃すまいとして)、この小さな町にいくつも存在するのだ。
壁とはすなわち分断するものである。
(ここでいう壁とは建築物の外周の部分をいうのではなく、壁単体として存在するものの事をいう)
一つのものを二つ、又はそれ以上に分ける存在である。
そして分けられたものを相関出来ないようにものである。
受刑者が外に逃げ出さず、刑を全うするように。
部外者の出入りを禁じ、情報漏えいを禁ずるために。
ここまでが自分の持ち物だと主張するために。
自らの施設の安全性を誇示し、社会の安心を買うために。
法律と法律、生と死の境目を視覚的に解りやすくするために。
壁とはこのように人間の社会、人間の思惑と密接に関係している。
社会がそれを望むから、壁はそこに建てられるのである。
だから壁の無い境目は当たり前のことだが少ない。
境目が存在するために壁は必要不可欠なのだから。
この町には境界線が多い。
だから壁も多い。
ぼくは、壁が多いからこそ、独自の空と地面との境界線があると感じたのだ。
その境界線は、例えば大都会のビル群や電線、看板が作りだす狭い雑然としたものとは違っていて、尚且つ、田舎町の生い茂る草木や山の稜線といった、広い視界で見る、緩やかで有機質なものでもない。
もっと、ミニマルで冷酷で、無機質な長い直線。
人間が、使える必要最小限の力で作り上げた薄っぺらな癖、強大な力を伴い得る悪しき建築物。
それが、何の細工もせずに人の心を弄ぶ空との境界線を作りあげていることに、何らかの哀愁というものを感じてしまっているという訳なのです。
その境界線の冷酷さと温かさの大いなる差というのを、美しいと感じているのだと思うのです。
突飛なものが存在する美しさへの固執というのは、現代人なんだなと自分でも思います。
丘陵の上に孤立する立方体であったり、コンクリートの上にある土の山であったり。
そういうものに、一切の神秘性を抜きにして興味を抱くというのは、大昔の人間からしたら考えられないことだと思うので。
神様というものの存在しない世界が自分の頭の中にあるからこそ、意識の存在しえない無機質なものに対して好意を抱いているのです。
それはおそらく、自分が情報の洪水に随時溺れてしまっている人間だからではないかという推測します。
多くの思想・宗教・歴史・陰謀・意見にさらされ、自分の立ち位置を決めることもできず、寄りかかる柱も無く、そのうえ作ろうともせず。
超現実主義、無神論主義、反人類至上主義など、それぞれへの偏執、固執が齎した自身の最終形態だと思います。
そういう人間だからこそ、よく解らない美的感覚を持ったのだと考察。
しかし、自分の欲求を満たすものとして必要な条件の一つが、「人間が作り出すもの」だという点において、大きな矛盾が生じてしまっていますね。
デジタルすぎるものは総じて嫌いという枠に入れられてしまうし、これはどういうことなのだろうか。
無機質なものでも、人為性が汲み取れるものでないと好きになれないということなのだろうか。
人間嫌いだというのに、女性に対して多少の神秘性を感じていないかといえばウソになるし。
これは自分が後にも先にも人間の男性なのだからという説明で事足りるとは思うのだが。
結局のところ、自分がうまく社会との調和をとることができない事の言い訳にすぎないのかもしれない。
ああ、なるほど、他人と自分の間にあるとは知り得ていたが、そうかやはり、ここにも壁があるのか。
自分さえ立ち入れぬ良くわからぬ壁。

壁はどれも厚く高く堅い。
よく考えると、考えながらここに打つ必要はないよな。
消すか迷ったけど記録なので残す。
考え事はちゃんとノートか頭の中でするとする。
壁と空と夢について書く機会、多い気がする。
好きなんだろうな、壁と空と夢。
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